フナとの出会いが人生を変えた|幼少期から始まった好奇心の旅

雑記・まとめ記事

今回はフナとの出会いが生んだ私の人生観について紹介していきます。

魚との出会いは、私にとって人生を大きく変えるきっかけとなりました。
幼い頃、家にあった一冊の魚図鑑。その中で最初に紹介されていたのが「フナ」でした。

図鑑を何度も読み返して覚えたフナの姿を、ある日、父と魚捕りをしたときに実際に目にした瞬間。

その体験は私にとって鮮烈で、今でも忘れられない思い出です。

この記事では、私がフナに興味を持つようになった理由と、その後の人生観に与えた影響についてお話しします。

きっかけは「魚図鑑」

私が魚という存在に初めて興味を持ったのは、子どもの頃に家にあった一冊の「魚図鑑」がきっかけでした。
大きくて分厚いその図鑑は、川や海に住むたくさんの魚の絵や情報がぎっしり詰まっていました。

魚の名前、大きさ、生息地、それぞれの特徴が丁寧に説明されており、幼い私の心に強い好奇心を呼び起こしたのです。

まだ生きている魚を見たことがなかった私にとって、その図鑑の中に描かれた魚たちはまるで異世界の生き物のように感じられました。

ページをめくるたびに広がる新しい発見に夢中になり、何度も何度も読み返していたことを覚えています。

最初のページにフナがいた

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その図鑑の最初のページには「田んぼや川に住んでいる魚」が紹介されていました。
今思えば、子ども向けの優しい図鑑だったからこその順番だったのでしょう。

一般的な魚図鑑であれば、系統的に古い魚である「ヤツメウナギ」や「ギンザメ」、または生息地的に川の上流に住む「サケ・マス類」などが最初に載ることが多いです。

しかし、この図鑑では身近な水辺の魚が最初に登場していたのです。
その中でも一番最初に紹介されていたのが「フナ」でした。

図鑑の最初にフナが載っていたということは、幼い私にとってとても重要な意味を持っていたのだと思います

何度も図鑑を繰り返し読んでいたことで、自然とフナという魚の存在が私の記憶に深く刻み込まれました。

もしこの図鑑が別の順番で構成されていたら、私が夢中になった魚は別の種類だったのかもしれません。

そんな偶然の出会いが、私とフナとの縁を作り上げたのです。

フナとの初めての「リアルな出会い」

実際に川で魚を捕まえたのは、幼稚園に通っていた頃のことです。
家の近所に幅50cmほど、水深も30cmにも満たない小さな側溝が流れていました。

父と一緒にタモ網を手に、その側溝で魚捕りを楽しむのが当時の私の一大イベントでした。

網を水中に差し入れてみると、小さな魚たちが次々に捕まります。
その中には「ドジョウ」や「ハヤ(オイカワの幼魚)」、そして「フナ」の姿もありました。

当時の私にとって、このフナとの出会いは衝撃的な体験でした。
それまで図鑑の中でしか見たことがなかったフナが、目の前で元気に泳いでいたのです。

図鑑で何度も目にしてきたフナの存在が、現実のものとして私の目の前に現れたとき、脳裏には鮮明な記憶とともに強い感動が生まれました。
この瞬間に、何か心の奥底から湧き上がる感情が芽生えたように感じます。
それは単なる「興味」や「好奇心」ではなく、もっと深いところで繋がるような不思議な感覚でした。

もしかすると、この時に私の中で何か特別な化学反応が起きていたのかもしれません。

フナとの人生を通じた縁

このようにして、私はフナという魚に強く惹かれるようになりました。
この出会いがきっかけで、私の中で魚や自然への興味がどんどん広がっていったのです。

もしあの時、家にあの図鑑がなかったら。そして、もし父と一緒に魚捕りに行かなかったら。
私の人生はまったく違った方向に進んでいたかもしれません。

図鑑と側溝での出会いを通じてフナが私の記憶と感情に深く刻まれ、それが現在に至るまでの私の人生観や研究への道を形作ったのです。

こうした小さな出来事が積み重なって今の自分があるのだと思うと、何気ない日常の一つひとつに感謝の念を抱かずにはいられません。

このエピソードを振り返るたびに、フナという魚が私に与えてくれた感動と学び、そして人生観の広がりを強く実感します。フナとの出会いは、私にとってかけがえのない宝物です。

フナが私に与えてくれた学びと感動は、これからも大切な人生の指針であり続けるでしょう。
この小さな魚がくれた大きな縁に、改めて感謝の気持ちを抱きます。

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