
今回は「日本の釣りの歴史(江戸前の釣り文化)」について解説していきます。

釣りは昔からあると思いますが、
今のような趣味としての釣りはいつ頃から始まったのでしょうか?

実は、釣り自体は縄文時代から続く非常に古い文化ですが、
長い間は食料を得るための手段でした。
ところが江戸時代になると、人々は魚を獲るだけでなく、
釣りそのものを楽しむようになったのです。

今のレジャーフィッシングの原点が江戸時代にあるということですね。

その通りです。
今回は、現代の釣り文化にも大きな影響を与えた「江戸前の釣り」が
どのように発展していったのかを見ていきましょう。
江戸で生まれた「江戸前」の釣り文化

江戸幕府が成立すると、戦乱の時代は終わり、武士たちは比較的安定した生活と余暇を得るようになりました。
その環境の中で注目されたのが、江戸の目の前に広がる「江戸湾(東京湾)」です。
江戸湾は、流入する河川が多く、栄養豊富で魚種も多い海でした。さらに房総半島と三浦半島に囲まれた地形のため、外洋が荒れていても湾内は穏やかで、釣りに適した条件が整っていました。
また、江戸時代に入って仏教の影響が弱まり、生き物を殺すことへの罪悪感が薄れていったことも、釣りが娯楽として受け入れられる要因になったと考えられています。
江戸の釣りが文献に登場した最初の記録

江戸の釣りが初めて文献に登場するのは、万治2年(1659年)とされています。
記録を残したのは越後村上藩の大名、松平大和守直矩(まつだいら やまとのかみ なおのり)です。
彼の日記『松平大和守日記』には、参勤交代で江戸に滞在していた際、家臣とともに江戸湾でハゼ釣りを楽しんだことが記されています。
この記録は、武士階級の余暇文化として釣りが根付き始めていたことを示す貴重な資料です。
「生類憐みの令」による釣りの停滞
江戸の武士たちの間で釣りが広がりつつあった時代、釣り文化は大きな転機を迎えます。
それが徳川綱吉による「生類憐みの令」です。
当初はそこまで厳格ではなかったものの、法令は次第に強化され、元禄6年(1693年)にはついに釣りそのものや釣り船が禁止されました。
この禁令は宝永6年(1709年)、綱吉が死去するまで続きます。
それでも釣りをやめられなかった人々は多く、捕らえられて死罪や島流しとなった例もあったと伝えられています。

釣りがすでに人々の楽しみとして根付いていたことが分かるエピソードですね。
日本最古の釣り入門書『何羨録』の誕生

生類憐みの令が失効してから14年後の享保8年(1723年)、日本の釣り文化にとって画期的な出来事が起こります。
それが、現存する日本最古の釣り入門書『何羨録(かせんろく)』の誕生です。
著者は津軽采女(つがる うねめ)。江戸生まれの人物で、77歳まで生きたとされています。
この書物には、江戸湾の釣り場案内をはじめ、道具、魚の生態、潮の流れ、天候の見方まで、釣りに必要な知識が幅広くまとめられています。
江戸時代の釣り人がすでに高度な知識を求めていたことがうかがえます。
江戸時代の釣り対象魚は海も川も幅広い
『何羨録』によると、当時の江戸ではシロギスを中心に、ハゼ、カレイ、イシモチ、コチ、イナなどの海水魚が釣りの対象でした。
一方で、淡水魚も盛んに釣られており、フナ、ウグイ、ウナギ、タナゴなども記録されています。

江戸の釣り文化は「江戸前=海釣り」というイメージだけではなく、
河川や水路の釣りも含めた幅広い遊びだったことが分かります。

江戸時代の釣り道具と工夫


『何羨録』には多くの図版が収録されており、当時の釣り道具の様子を知ることができます。
ハリ(釣り針)
釣り針は市販品だけでなく自作も行われていました。
鋸の裁ち屑などを鍛冶屋から入手し、少しでも釣れる針を作ろうとする工夫が紹介されています。
糸(ミチイト)
現在でいう道糸には、未加工の絹糸(菅糸)や馬の尾の毛などが用いられました。
さらに柿渋や漆で加工し、強度を高める技術も紹介されています。
テグス(ハリス)
ハリスとして使われたテグスは中国から輸入されていましたが、
当時はその正体がよく分かっていませんでした。
瓜の蔓の芯説や水中由来説などが語られており、
文化年間になってヤママユガの幼虫から採取できることが伝わったとされています。
オモリ
オモリはナス型や釣鐘型が多かった一方で、穴の開いた銭を使う人もいました。

お金を釣り道具に!?
罰当たりだな・・・

釣り場の状況に応じてすぐ重さを調整できる点は、
合理的で江戸っ子らしい工夫といえるでしょう。
エサ
エサはエビ類が推奨されており、
クルマエビやイセエビといった高級なエビも使われていたようです。
このことからも当時の江戸湾が非常に豊かな漁場だったことがうかがえます。
町民に広がり「江戸の釣りブーム」へ

時代が明和・天明年間になると、釣りは武士だけでなく一般町民にも広がり始め、江戸では爆発的な釣りブームが起こります。
ここで江戸の釣り文化は円熟期を迎えました。
天明8年(1788年)には入門書『闇のあかり』が発行されます。この本は岸釣りに特化した内容で、河口のボラ釣りだけでなく、フナ釣りやタナゴ釣りにも触れています。
さらに画期的だったのは、江戸市中の釣具店リストが掲載されていた点です。
釣り道具をどこで買うか、どんな店があるかという情報を求めるほど、釣りが市民生活に浸透していたことが分かります。
浮世絵にも描かれた釣り文化

天保年間(1830〜1844年)に入ると、釣りは完全に庶民の娯楽として定着します。
その様子は喜多川歌麿や葛飾北斎といった浮世絵師の作品にも描かれ、当時の釣り文化を現代に伝えてくれています。

幕末の動乱期を迎えても、人々の釣りへの情熱が衰えることはありませんでした。
江戸和竿は工芸品となり海外へ

明治時代になると、江戸時代に発展した釣り文化の象徴ともいえる「江戸和竿」は、
工芸品としての美しさが評価され、欧米へ輸出されるようになります。
江戸で生まれた釣りの技術と美意識は、単なる遊びの枠を超えて、日本文化の一部として世界に広がっていったのです。

まとめ:江戸前の釣りが現代に残したもの

江戸前の釣り文化が、
現代の釣りにつながっていることがよく分かりました。

そうですね。武士の余暇として始まった釣りは、
法令による規制を受けながらも発展し、
入門書や釣具店の登場によって町民へと広がっていきました。

浮世絵に描かれるほど人気になったり、
江戸和竿のような工芸文化が生まれたりしたのも興味深いですね。

ということで、今回は「現代の釣りにも影響を残す江戸前の釣り文化」
について解説していきました。
私たちが当たり前のように楽しんでいる釣りも、
江戸時代の人々が育んだ「釣りを楽しむ心」の延長線上にあるのかもしれません。


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