今回はマブナ釣りの文化や歴史について解説して行きます。
多くの人々に愛されてきたマブナ釣りですが、お偉いさん方にはあまり好かれていなかったとか。
そんな歴史と秘密について解説していきます。
釣りの歴史は縄文時代から
まずは釣りの歴史から深く見て行きましょう。
そもそも、釣りのルーツは縄文時代の「狩猟採集」からだと言われています。
私たちの先祖は、生きるため、魚を捕獲するため、「置き釣り」をはじめました。
当時は「釣り針」は存在しないため、動物の骨や貝などを鋭く研いで釣り針の代わりにしていたそうです。
「釣り」は生きるための手段」なんですね
現代では、生きるために釣りをしているというケースは少なく、
あくまでも娯楽の一環として釣りは楽しまれています。
江戸の武士から釣りが広まる
「娯楽としての釣り」として定着するようになったのは「江戸時代」からだと言われています。
江戸時代は、長年の仏教思想の影響も薄れてきた時代で、殺生に対する考え方も緩くなりました。
そこで暇を持て余した武士の娯楽として探した結果、「釣り」が着目され、江戸時代あたりに釣り人口は一気に増えたとされています。
釣りが人気になる理由はなんだったのですか。
武士道に刺さったのだと言われていますね。
当時、芸術の道に足を踏み入れる武士が多かったそうで、一部の武士からは釣りに対しては
「精神を集中する鍛錬の一つ」
と武芸の延長的な捉え方をする考えも出てきたのです。
こうして徐々に釣りをはじめる武士が多く増え、釣りブームが加速して行きました。
その後は一般庶民も釣りをはじめるようになり、釣りは一気に男女問わず大衆的な存在となりました。
江戸時代から、釣りという娯楽が大衆的に楽しまれはじめたことが伺えます。
マブナ釣りの歴史
そんな江戸時代の釣りブームの中、釣りのターゲットとして「フナ釣り(マブナ釣り)」も流行って行きます。
しかし、マブナ釣りの場合、どちらかといえば武士よりも庶民に愛された釣りとされています。
江戸の武士はタナゴやハゼ、イカなどの釣りが好きなんですね。
なぜ、武士がフナ釣りをあまりしなかった理由
なんでフナ釣りが流行らなかったからですか?
理由は2つあります。
- 釣り餌の種類と調達問題
- フナに対する意識の問題
まずは餌の問題ですが、純粋にフナの餌のミミズなどを扱いたくなかったことが挙げられます。
ミミズってキモいじゃん。
『何羨録』の時代の武士たちはミミズやゴカイではなく、ハマグリやエビなどを使いました。
きれいでこざっぱりしたエサでの釣りの方が好ましいと考えていたのでしょう。
釣果より釣趣を重んじる優雅な遊びだったことがわかります。
確かに武士が畑の土などを掘ってミミズを捕まえている姿を想像できませんね。
そのため、江戸の武士では、フナ釣りよりも繁殖期に美しい体色になるタナゴ釣りも好まれました。
フナに対する意識問題
もう一つの理由としては、フナに対する武士のイメージが悪かったことでしょうか。
魚名学の項目でも語っていますが、
「フナ」は煮ると骨を感じないくらいに柔らかくなるとされており「骨なし魚」とも言われています。
そんな江戸時代には「鮒侍」という言葉が存在し、「骨のないの武士」をののしる際に言われたそうです。
武士道を重んじる武士からすると
「骨なし=フナ」という言葉が嫌いなんでしょうね。
はた迷惑ですね
そんなどこか武士などの上流階級の方には行われていなかった釣りとされてはいますが、
フナ釣りは土を掘れば出てくるミミズとシンプルな釣り竿と仕掛けで釣ることができるという点では
手軽で、一般庶民に定客したのだと考えられますね。
「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」
ちなみにフナ釣りという中では有名な言葉に
「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」
がありますね。この鮒とはいわゆるマブナのことです。
なかにはこの言葉の「鮒」を「ヘラブナ」と誤解している人も多いようですが
「マブナ釣りに始まりマブナ釣りに終わる」
が正しい解釈ですね。
というのもヘラブナは元々、琵琶湖固有種のゲンゴロウブナの改良種で、江戸時代末期の段階ではヘラブナという品種は存在していませんからね。
まとめ
ということで、今回はフナ釣りの歴史と文化について解説していきました。
武士からはあまり好かれていないものの、一般庶民からは愛された釣りになります。
今でも和竿の技術は継承されていますし、敷居の低い手軽に行える釣りだと思いますね。
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