
今回は「ビオトープに魚がいる理由」について解説していきます。池や湿地を見ていると、魚が泳いでいる光景に出会うことがありますが、少し不思議に感じることはありませんか。

たしかに、水路や川とつながっていない場所にも魚がいることがあります。どうしてそんなことが起こるのか、気になります。

実はその背景には、淡水魚の性質や、水辺同士の意外なつながりが関係しています。普段あまり意識しない視点から、水辺を見直してみましょう。

魚の立場で考えると、ビオトープの見え方も変わりそうですね。続きを聞くのが楽しみです。
ビオトープをのぞくと、フナやメダカ、ドジョウなどの魚が泳いでいることがあります。
しかし考えてみると不思議です。ビオトープは人工的につくられた小さな池や湿地で、川や湖と直接つながっていないことも多いからです。
にもかかわらず、なぜそこに淡水魚、とくに純淡水魚が入り込み、生き続けることができるのでしょうか。

この疑問を解く鍵が、「純淡水魚」という生き物の性質にあります。
純淡水魚とは何か?

フナ、コイ、メダカ、ドジョウなどの多くの日本の淡水魚は純淡水魚です。

これは「一生を淡水だけで過ごす魚」という意味で、海水を利用できない魚たちを指します。
サケやウナギのように川と海を行き来する魚(通し回遊魚)やボラのように海にも生息している魚(周縁性淡水魚)と比較すると
純淡水魚は塩分のある海水に入ると体のバランスが崩れてしまいます。
なぜ純淡水魚は海を越えられないのか

川の水はとても薄く、海水は非常に濃い塩水です。

魚の体は、水と塩分のバランスで成り立っています。
たとえば料理で魚に塩をふると、表面に水がにじみ出ます。
これは、体の中の水分が塩に引き寄せられて外へ出ている現象です。
純淡水魚が海水に入ると、体の中の水が外へ引き出され、脱水状態になってしまうのです。
逆に海の魚が淡水に入ると、水が体内に流れ込みすぎてしまいます。
サケやウナギは、腎臓やエラの働きを切り替えることでこの問題を克服していますが、
フナやメダカのような純淡水魚にはこの能力がありません。

つまり純淡水魚は、川や池から海を通って別の水域へ移動することができないのです。
それなのに、なぜビオトープに魚がいるのか?
それでもビオトープに魚がいる理由は、大きく2つあります。
① 洪水と氾濫による自然な移動(本来の姿)

もともと日本の川は、梅雨や台風のたびに氾濫し、川の水が田んぼや湿地へ広がっていました。
これを氾濫原湿地といいます。
フナをはじめとする純淡水魚は、この氾濫のタイミングで川から湿地へ入り込み、
草の間に卵を産み、稚魚を育てていました。

これが、日本の淡水魚の「本来の産卵スタイル」です。

しかし現代では、堤防や護岸工事によって川は氾濫しなくなりました。
その代わり、田んぼや用水路が人工の氾濫原の役割を果たしています。
つまり、ビオトープが水路や川とつながっていれば、増水時に魚が入り込むことは理論上あり得ますが、
実際には多くのビオトープは孤立しているため、この方法はあまり起きません。
② 人の手による放流

実際にビオトープで最も多いのがこのケースです。
「水辺には魚がいたほうがいい」
「メダカが泳いでいたらきれい」
「子どもに見せたい」
こうした善意から、人が魚を放流することがよくあります。
メダカ、フナ、コイ、時にはブラックバスやブルーギルまで入れられることもあります。
また、水草に魚の卵が付着して持ち込まれ、そこで孵化して増える場合もあります。

しかしこの方法には問題もあります。
本来その場所にいなかった魚が入ることで、生態系が崩れることがあるのです。
純淡水魚は「閉じた世界」で生きる魚

今回は「ビオトープに魚がいる理由」について解説していきました。ビオトープは小さな水辺ですが、そこには自然の仕組みや、人と水辺との関わりが凝縮されています。

ただ魚がいるだけでなく、その場所がどんな役割を持っているのかを考えると、見方が変わりますね。

そうですね。魚の姿を通して、水のつながりや地域の環境を感じ取れるのが、ビオトープという施設の大きな魅力です。

これからはビオトープを訪れるとき、魚だけでなく、その背景にある水辺の物語にも目を向けてみたいです。
フナをはじめとする純淡水魚は、
川・池・湿地・田んぼといった淡水のネットワークの中でしか生きられない魚です。
だからこそ、日本の淡水魚の分布は、水のつながりと歴史を強く反映しています。
どの川にどのフナがいるのか、どの池にどの系統が残っているのか――
それは単なる偶然ではなく、水の流れと人間の土地利用の結果なのです。
ビオトープに泳ぐ一匹のフナも、
その背後には「川と湿地と人の営み」が積み重なった物語があります。

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